〖疑問〗教育実習の大学生。他の幼稚園では、子どもを静かにさせたい場面で手遊びをさせます。おしゃべりしたりふざけていた子どもたちも、先生の手遊びが始まると集中して、「♪手はおひざ~」で静かになります。「静かにしなさい!」と怒らなくて済むから、手遊びを使うのかなと思っていたのですが、高階幼稚園ではそういう場面を見たことがありません。誕生会、お弁当やお帰りのごあいさつの時、先生が黙っていても、みんなすぐ静かになります。手遊びを使わないのに不思議だなあと思っているのですが…。
〖お答え〗“幼稚園の先生”というと“子どもたちの前で何かやってみせる人”のようなイメージが一人歩きしているのでしょう。テレビの歌のお姉さんのような。それで、子供に興味があるのにそういうわざとらしいのが苦手という人が、この道を諦めてしまったり…もったいないですよね。いつからそういう手法が定着してしまったのでしょう。教育実習前に練習なさる方もあるようですが、“幼児を集中させるための手遊び”は保育技術でもなんでもないです。そんなことをしていては、子どもが自ら感じて「あ、今は静かにするんだ」というふうには、いつまでたってもなりません。感じるから次に考える、そして判断できるようになるのです。“手遊び”で引きつければ大人は楽ですけれど、子どもが自ら感じ考える力を奪ってしまっていることに気づかないのですね。
例えば4月。園生活が始まって間もない年少組の降園前の様子。保育者は行ったり来たりして一人ひとりのお片付けを手伝いながら、あちこちで遊んでいる子どもたちを保育室に連れてきます。手が汚れていれば洗ってあげ、靴下が濡れてしまったら取り替えたり、保育者は忙しいのですが、椅子を並べ、支度を整え、一人ひとり座らせます。“ぼくもああするのかな”と感じ、自分から座る子どももいます。かばんや帽子を忘れてしまっていますから、親切に持ってきてあげたり、手をお膝のところで揃えてあげたり。保育者の気を引いて、いつまでもフラフラする子どもがうっかり座っている時、「○ちゃんえらいわ、もうお支度できちゃった」と褒めます。褒められて嬉しくない人はいませんから背筋も伸びます。「お背中まっすぐねえ!」と思わず褒めると気づいて真似をする子どももいます。「あら、みんなのお背中まっすぐね!」子どもも保育者も嬉しくなります。そして皆が静かになったそのタイミングで「さようなら」をします。
保育の基本は“親切”です。子どもを丸ごと受け止め、保育者は身体を使って丁寧に、一人ひとりのお世話をします。何か言った時にはもう身体が動いている、というように。教えようとして多くの言葉を使うと受動的になり、幼児自らが感じ考え判断する力を逆に使えなくしてしまうため、言葉数を控えています。僕のため私のために、大好きな先生が持っている力を精一杯使ってお世話してくれたら、嬉しいでしょう。子どもたちが嬉しいと、保育者も嬉しいですから、互いに響き合う間柄になります。
保育者への信頼を基に、保育者だけでなく子ども同士もお互いの教育環境になるのです。何も言われなくても、先生やお友達の行動で感じます。「あ、もうすぐお弁当だ、お片付けしよう」「上靴持って帰るんだな、じゃ、揃えておこう。」など。もちろん保育者が何か話したり、絵本を読んだりの時はすぐ静かになります。“こうさせましょう”というごてごてした言い聞かせや手遊びで引き回したり、受け身にさせることがないため、子どもたちはいつの間にか自ら感じ考え、主体的に生活できるようになっていきます。
少し大きくなれば年齢なりの判断力も身につきます。年少、年中、年長と成長するにつれ、かけていたお世話の手をだんだん引く時が来ますが、保育者にしてもらったように、皆、身辺のこともきちんと丁寧にでき、誇らしげです。精神的に安定しているため、打ち込んで疲れず、イメージを広げながら一生けんめい遊びます。手遊びで集中力が高まるなどということはありません。“いわゆる幼稚園臭い”この手法は子供騙しそのもの。改めるべきだと思っているのですが、どうでしょう。